PINK-第三回/石田月美

Posted 2022-08-09

威風堂々とした佇まいの老紳士は、「やあ」と片手を挙げてユリイカに入って来た。床に座っていた私が「本日はよろしくお願いしますっ!」と立ち上がって挨拶すると、「うん」と答えながらゆったりとソファーに腰掛けた。
初めてM男さんにお会いする緊張と慣れないインタビューでガチガチになっている私に、その紳士は「まずね、権威というものがないと駄目なんですよ」と、蓄えた口髭を撫でつけながら教えてくれた。「小さい頃、悪さをして母親にお尻を叩かれるなんてことがあったでしょう。子どもにとって母親とは絶対的な存在ですから。そこにね、権威というものの存在があって......」。早速、メモを取りながら拝聴する私。紳士は饒舌に、自らの体験とSMの歴史について語り始める。
冷や汗をかきながら頷いた私は、紳士の含蓄あるお話が自分に理解出来るのか不安だった。私って、ただのヤンキー上がり。澁澤龍彦は読んだことあるけど、マルキ・ド・サドも団鬼六も読んでいない。権威といえば、学校のセンセーをぶん殴って土下座させられた思い出はあるけど、権威そのものに殴られることに快感を見出す、この紳士のことが果たして私に理解出来るのだろうか。
オロオロしている私をよそに、紳士はその仕立ての良いジャケットを形が崩れないように畳みながら、ゆみこさんに「コロナでユリイカが休業中の間、面白いものを作ったんですよ」と話しかけている。私はなす術もなく、二人のやり取りを眺める。そういえば、澁澤龍彦のところに原稿を取りに行った編集さんが、マネキンに貞操帯が付けてあったって言ってたっけ......。どんな SM 調度品が持ち寄られたのだろう......。

固唾を呑みながら、紳士が取り出したものを見てみると、それは何かの機械のようであった。そして、紳士は様々な棒を取り出す。
「ゆみこさん、これがね、意外に良くて」威厳に満ちたその紳士が、更に袋から出したのは「布団叩き」だった。え? 布団叩き?
予想の斜め上行く展開に、もうマジで眺めるしかなくなっている私だが、ゆみこさんは慣れた調子で「じゃあ、ちょっとやって見せてよ」と言う。すると紳士は、取り出した機械に布団叩きを付けて四つん這いになった。
「行きますね」紳士がスイッチを押す。その機械はギギギギギと音を立てながら、思いっきりスウィングして、布団叩きで紳士の尻を打った。え? 何コレ? タバコを吹かしながらゆみこさんが言う。
「もうちょっと位置、高い方が良いんじゃないの?あと、細くて硬い棒の方が痛くて良いよ」
「そうですよね。やっぱりケインなんですよ」
ちょっと待ってくれ。何が起こってるんだ。堪らず質問すると、「だからね、僕はお尻を叩かれるのが好きで。中でもケインで叩かれるのが最高なんですよ」と。
「ケイン」というのは中世ヨーロッパで躾のために使われていた棒のことらしい。紳士の雰囲気に飲み込まれて、私が聞き間違え
ただけで「権威」じゃなくて「ケイン」だった。威風堂々とした老紳士は、コロナ禍で一人、自動お尻叩き機を作り上げたのだった。なんだよ、それ。
もはや私は圧倒されてしてしまい、紳士がその後語ってくれた SM の歴史や古参マゾとしての矜持みたいなものが全然頭に入って来なかった。
思い返せば澁澤龍彦を読んでいた頃の私は別にそれが好きなわけでは無く、それを読んでいる自分が好きだった。つまり、文学史の中で権威的な存在である本を読む自分に自惚れていたわけだ。自分の好きってなんだろうと思う。人から後ろ指さされても、理解されなくても、好きなものは好きと、そう言えるものがあるだろうか。それが見つからなかった私は権威に縋ったのではないだろうか。
ペシンペシンと尻を打たれる紳士を眺めながら私は、好きを追求する空間がここユリイカなのかもしれないと思った。この滑稽なほど豊かな空間には、ただただ好きを最大限に解放する人たちが集う。自分の好きを見つけ、貫くって、どういうことなん

だろう。そこにはどんな世界が広がっているのだろう。私にとってのユリイカは、まだまだ不思議の国だ。言語コードも違うようで、聞き間違えはするし、言っていることの半分もわからない。でも、この不思議の国の愛と理不尽を、どうにか読み解きたいと願う。または私は如何にして権威主義を恥じ、ユリイカを愛するようになったか。
因みに、ユリイカのチイママであるえり女王様に、私は一度だけケインで打ってもらったことがある。単なる細い棒のくせに、地味にマジ痛過ぎて、「やっぱ、ケイン紳士の気持ちさっぱりわかんねーわ」と一撃で破れたストッキングを撫でながら思ったものである。
石田月美
いしだつきみ
1983 年生まれの東京育ち。物書き。幼少の頃から周囲と馴染めず、浮き上がった自分を抱えながら過ごす。生き延びるための物語&How to を綴った『ウツ婚!!―死にたい私が生き延びるための婚活』を晶文社より 2020 年に出版。様々な精神疾患を抱えたまま、婚活し結婚し、不妊治療を経て、現在二児の母。
シネイカの御三方、新井英樹さん・鏡ゆみこさん・二村ヒトシさんにはお世話になっていて、新井さんには「メンヘラパリピ」と呼ばれるし、ゆみこさんにはSMサロンへの寄稿だ!と飛ばし過ぎる月美を「もうちょっとマイルドで」と嗜められ、二村さんにはノールックで「今日もイイ女だね~」とあしらわれている。

「ウツ婚！！―死にたい私が生き延びるための婚活」（晶文社）石田月美著
https://www.amazon.co.jp/dp/4794972008/

「全ての悩みは作品である」https://stand.fm/channels/5f6090cﬀ04555115d 7c263e

石田月美 note https://note.com/ishida2kimi

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